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雄 島
魚の神「恵比寿様」「弁天様」を祀り、弁慶が昔、車を引いたという轍跡もある。(説明板から)

画:菅江真澄
( 説明板から )

秋田県山本郡八峰町八森字雄嶋 【あきたけん やまもとぐん はっぽうちょう はちもり あざ おしま】

岩屋はこの下

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みこしの滝あび
 八月一日に行われる白瀑神社例祭当日の渡御祭で、朝七時当番町の男衆たちが白装束で御輿を担ぎ、神社を出発町内を練り歩いたあと、正午過ぎ神社の裏手にある男滝、女滝からなる白瀑(高さ一七メートル)の滝つぼへ入り、そこで、さらに御輿を練って五穀豊穣、海上安全、家内安全、商売繁盛等を祈願する。みこしが滝に入るのは全国でも当神社だけであると言われている。
この渡御祭が「みこしの滝あび」とうわれ、勇壮な中にも涼気漂う夏の神事として知られる。滝浴びの起源は戦前といわれている。(説明板から)

説明板から

秋田県山本郡八峰町八森字上滝の上 【あきたけん やまもとぐん はっぽうちょう はちもり あざ かみたきのうえ】

画:菅江真澄
( 説明板から )

白瀑神社

しらたき
じんじゃ

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千國写真館

尼子岩神社

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白瀑神社・尼子岩神社・雄島

雄 島

尼子岩
むかし、八森山の不動尊と同じ木で、円仁(慈覺大師)がつくられた巌やの不動を祀っている岩屋神社が、深い渓流をはさんで右岸にある。左岸にも二つの洞窟があって、唐松さま、稲荷さまが祀られ、上の窟は小岩谷神社になっている。西国から漂流した船の尼が、この窟を修行の場としたことから尼子窟と呼ばれるようになった。
「尼さんは、まだ此所に住んで居られます。下の谷間から読経の声がこだますることも、度々です。」
そうした話がピッタリするほど、不思議な雰囲気が漂う所である。
昭和六十年十月 八森町教育委員会 (説明板から)

秋田県山本郡八峰町八森字中嶋 【あきたけん やまもとぐん はっぽうちょう はちもり あざ なかじま】

白瀑神社由緒沿革(旧郷社)
由来  白瀑神社は今よリ一千百有余年前、慈覚大帥円仁によって中古文徳天皇の御代仁寿三年(八五三年)円仁師回国のみぎり此の社に詣で、八森山滝の下清浄にして山色冷澄なるを感じて参ろうし、斯かるき瀑水は、世に比類なき霊地なりとして滝に打たれ修行自ら刻んだ不動尊を瀑の北方岩上に安置し国土安全を祈願されたのが創建と云われている。中世には当神社周辺は修行の地として修行道が盛んと成った。藩主佐竹公の崇敬厚く社参され、社領の寄進等があった。
また貞享五年に、青銅三尺の不動尊を寄進、「堺の浦より船にのせたてまつり(船主松木、船 勧喜丸)はじめ船出せし日は類船十隻あまりありけれども、みな風にささられ波にあてられ、所々にとどまりぬに、尊像をのせたまうこの船ばかりは、日数十三日にて野代(能代)の浜につかせたまうを見聞く人ことに尊くありがたきことに感嘆しあへり、それより『波切り不動』とあがめる。」とあり、水難火難賊難みな消散し、一切の諸願満足せずということなし、と称賛し信仰された。 近世(一八〇一〜一八〇六)には菅江真澄が当社に二度も参り滞在している。 はじめ神仏習合のため不動社と称されたが明治に至り白瀑神社と改め同五年郷社に列せられる。同四十三年旧八森村が内の三十社が白瀑神社に合祀される。(説明板から)